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白梅之塔。
沖縄県立第二高等女学校の四年生五十六人で編成された白梅学徒看護隊は、昭和二十年三月六日第二十四師団(山部隊)の衛生看護教育隊に入隊し、補助看護婦としての特別集中教育を受けていた。
米軍の艦砲射撃が激しくなった同月二十四日から、東風平町富盛の八重瀬岳にあった同師団の第一野戦病院に軍属として配置され、昼夜別なく傷病兵の看護に専念した。
戦況は日ごとに悪化し、同年六月四日遂に白梅隊に解散命令が下り、隊員は散り散りになって戦野を彷徨し、一人またひとりと専科に斃れていった。その場所はほとんど不明である。
また、解散後この地に交代した山第一野戦病院に、再び合流した一部の白梅隊員は、同年六月二十一,二十二の両日に亘、米軍の猛攻撃を受け無念の最期を遂げた。この一帯は、白梅隊員の最も多くの犠牲者が出た所である。
塔は、戦没した白梅隊員及び沖縄戦で戦死、あるいは戦争が原因で亡くなった教職員・同窓生百四十九柱の鎮魂と、世界の恒久平和を祈念してしょうわ二十二年一月に建立した。
毎年六月二十三日の「慰霊の日」に例祭が行われる。
平成十年六月二十三日
沖縄県第二高等女学校 白梅同窓会